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【コラム】恐怖心を減らすための対策の重要性


恐怖心を減らすための対策の重要性―新型コロナウイルスのもたらした歴史的変化―


 

加藤茂孝(ウイルス学者、『人類と感染症の歴史』・『続・人類と感染症の歴史』著者)

(2020年5月15日 公開)

 

 

 世界中で人々が行動制約を受け忍耐の時間を過ごしている。新型コロナウイルスによるCOVID-19はまさに世界的なパンデミックである。

 世界を揺るがせた感染症の代表として、14世紀に流行してヨーロッパに大変動をもたらしたペスト(黒死病)がある。このペストと現在のCOVID-19には世界に変化をもたらしたという点で共通点が多い。見えないものに対する人々の恐怖心は昔も今も、そしておそらく未来も変わらないからである。COVID-19後の世界の変化を考える上で、ペストの歴史から学び取れることは多い。歴史から学んで、恐怖を減らし、賢く柔軟に、明日を迎えよう。

  

 

1.ペストとCOVID-19の比較


 1347~1351年のペストの大流行は、推定で最大7500万人の死者が出て、ヨーロッパの人口の1/3から1/2の減少をもたらしたとされる。現在と比べて人口や生産力は低く、移動速度が遅く、情報伝達も限られていた時代なので、社会の変化は数世紀にわたってゆっくり起きたが、現代から振り返ると中世から近世への移行という世界史上の大転換点であった。

 COVID-19の流行の背景には、モノ・ヒト・カネ・情報の大量かつ迅速な移動がある。世界のどこで起きた感染症であろうと、早ければ24時間でどこにでも到達できる21世紀を特徴づけるパンデミックである。移動速度が速くなることで潜伏期の間でまだ症状のない内に国境を越えることができるようになった。情報伝達手段が発達し都市封鎖などの対策とともに医療崩壊への恐怖の感情も、ほとんど瞬時に世界を回っている。ペスト時代の1世紀の間に起きた変化は、現在では1年のスピードで起こりうる。後世、現代を振り返ると、世界史の転換点であったと言われるだろう。

 

◆ペスト

(1)教会の権威失墜から宗教改革へ

 病を治せないカトリック教会と教皇の権威が失墜し、宗教改革の原因になった。

(2)自国言語の使用からルネサンスへ

 教会言語であるラテン語の権威が失墜して、民衆は自国の言語を使用し始めた。イタリアの『デカメロン』(1348~1353年にかけ刊行)や英国の『カンタベリー物語』(1387~1400年にかけ刊行)といった、各国の母国語で書かれた本が刊行されている。マルティン・ルターは聖書をドイツ語に翻訳した。聖書の国語化の始まりである。固有言語や文化の尊重がルネッサンスの開花へつながる。

(3)近代医学の始まり

 教皇は感染の原因を明らかにする目的で死体の解剖許可を与えた(1348年)。これが後のヴェサリウスの『解剖書』(1543年)の発行につながり、近代医学の始まりになった。ベネチアで船の上陸を港外で40日間待たせる検疫も始まった(1377年)。検疫(quarantineの語源はイタリア語のベネチア方言で40日を意味する。

(4)産業構造の変化から後の産業革命へ

 荘園制を支えた農奴人口も減少し、賃金制の小作農に代わり、同じく賃金をもらう労働者を生み、はるか後世の産業革命へとつながった。他方で多くの人出を必要とする荘園から人手のいらない放牧への転換もあった。

(5)ユダヤ人の迫害

 ユダヤ教の戒律を厳格に守っていたユダヤ人のペスト感染者や死者が少なかった。犯人を探していた民衆は、「毒をまいたのはユダヤ人だ」として大量虐殺し、彼らの財産を奪った。ユダヤ人は、ヨーロッパ南部からポーランドやリトアニアなどに逃げた。

 

◆COVID-19

(1)WHOの権威の失墜

 中国に遠慮して初動の警告が遅れたからである。2003年のSARS流行時には、「緊急でない渡航の自粛」を史上初めて提案してWHOの存在感を高めたのに、期待が裏切られた。またそのSARSで輝かしい研究成果を上げた米国のCDC(疾病対策センター)も流行初期に国内に配布したPCRキットの失敗などがあり米国での患者・死者の急増を抑えられず権威を落とした。米国が世界最多の感染者と、死亡者を出したのもCDCの機能が十分に発揮されなかったことが1つの原因である。科学を尊重しない経済至上、自国最優先のトランプ大統領に振り回された。

(2)勤務形態の変化

 外出自粛や都市封鎖で、テレワークが広がり、ITを使ったオンライン会議が普及した。オンライン診療、オンライン面接、オンライン授業も広がっている。工場では自動化がさらに加速し、押印の習慣も早晩消えるだろう。

(3)情報・感情・不安の世界化

 外出規制で、パリ、ロンドン、ニューヨークなどの見慣れた光景が、無人化した光景に代わった。それを身近になったITが瞬時に世界に伝えた。その速さがあたかも自分がすぐ隣にいるような錯覚を生んだ。今、不安・恐怖心で世界が一体化して、未経験の不思議な感情に満ちている。

(4)国際協調よりも自国優先

 第2次世界大戦後に設立されたWHOは、感染症対策、栄養改善、禁煙運動など健康問題に大きな貢献をした。WHOの属する国連やEUなどの存在は国際協調のシンボルであった。ところが、COVID-19によって自国への被害が近づいてくると、協調に反して、国家元首は人の移動を止める国境閉鎖、物資の国内優先使用などに走り始めた。COVID-19に先行していた英国のEU離脱やトランプ大統領による米国の自国の利益最優先の政策がこの傾向を加速させた。もちろん人の移動を止めることが感染症拡大を防ぐ最も効果的であるのは間違いない。一方で自国優先の対応が移動制限の解除後も長く影響を及ぼすであろう。

(5)経済恐慌の恐れ

 すでに世界的な経済不況が起きている。経済への影響はSARSの数十倍か数百倍にも及ぶと予想され、少なくとも3年は続くと思われる。感染症対策をしながら最低限の社会生活を維持して行くという大変難しい対応が求められる。

 

 

2.求められるもの:不安、恐怖を減らそう


 過酷な状況に置かれた人々の不安感、恐怖感を減らすものは、確かな情報であり、不安をかき立てるものは不確かな情報・デマである。

 私たちは正確で地味な情報よりも、誇張された派手な情報を好む。メディアは誇張しがちであり、善意または無意識の誇張であっても不安をあおる働きをする。例えば、「材料を中国に頼っているのでトイレットペーパーが無くなる」と伝わると、一時的にトイレットペーパーは店頭からなくなってしまった。マスメディアは空っぽの棚を何度も映し、買い占めに多大な貢献をした。トイレットペーパーの製造の実情を丁寧に追い、少しでも不安を和らげるべきであった。

 欧米で中国人や日本人が「コロナ」と指さされて、嫌われ殴られたりした。国内でも感染者、医療従事者やその家族でさえ嫌われた。これらは見えないウイルスに対する人々の恐怖心の裏返しである。感染は明日の我が身であり、医療従事者こそが私たちを守る存在であることを忘れてはならない。

 

 

3.常に備えを:政治の上に科学を


 不安を減らすのは、正確な情報しかない。そのために必要なことは冷静な目であり、過去に学ぶことである。

 ペストの時代には、科学はそれに対抗する力がまだなかった。現在では対抗する力を備えられるようになった。しかし、その力を十分に発揮できる体制にはなっていない。不安を減らすのは、現状についての明瞭な情報発信であり、明日がどうなるかを示し未来へのグランドデザインを発信することである。

 ウイルスは、自分の遺伝子を残すことを目的にしているので、人間側の事情を最優先してはいけない。そこを間違えれば必ずウイルスからしっぺ返しを食う。情報発信において政治が科学の上に立ってはいけない。

 21世紀の20年で新興感染症が世界では約5年毎に起きている。新興感染症は人類が続く限りいつでも起きるものである。感染症対策は、地球温暖化、テロ、核戦争、自然災害などと同じようにリスク管理の対象である。

 ぼやが起きる度に、消火器を持って消しに行くのではなく、防火システムを完備して常に備えていなくてはならない。

 

 

 

加藤先生の前回コラムはこちら

【コラム】新型コロナウイルスはどう落ち着くのか?(2020/2/13公開)

 

加藤先生ご賛同のもと、2018年に刊行した『続・人類と感染症の歴史-新たな恐怖に備える』より「第9章 SARSとMERS-コロナウイルスによる重症呼吸器疾患」を公開しております。

◆『続・人類と感染症の歴史』の第9章「SARSとMERS」を公開します。

 

 

 

加藤茂孝(かとうしげたか)

 1942年生まれ、三重県出身。東京大学理学部卒業、理学博士。国立感染症研究所室長、米国疾病対策センター(CDC)客員研究員、理化学研究所チームリーダーを歴任し、現在は株式会社保健科学研究所学術顧問。

 専門はウイルス学、特に風疹ウイルス、麻疹・風疹ワクチンである。妊娠中の胎児の風疹感染を風疹ウイルス遺伝子で検査する方法を開発。著書に『人類と感染症の歴史―未知なる恐怖を超えて』(丸善出版、2013年)、『続・人類と感染症の歴史―新たな恐怖に備える』(丸善出版、2018年)がある。

 


 

 

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