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【コラム】HGS分子構造模型を育てた人々[後編]

 


佐藤 和久


 

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 畑一夫先生とHGS分子模型との出会いは,昭和40年だった.それまで大学の教授というのは,私にとって雲の上の存在であったのと,私のお会いした専門家の方々は,模型の原子価角の正確さに,こだわり過ぎて,このアイデアが分子模型として有効であるといってくれる人がいなかったので,畑先生の所へ伺ったときは切羽詰まった心境であった.“神の見えざる手に導かれるように”という表現は,少し大袈裟かも知れないが,畑先生の所で,この模型は旧知の間柄のように迎えられた.すぐ立教大学の中原勝儼先生に,ご紹介頂き,従来の多面体の角をもう1つ切り落とすよう示唆を受け,その日の内に模型はほとんど完成してしまった.多くの専門書から,分子や結晶の構造の図や写真を抜き出したり,原子価角を調べたり,酸素や窒素の‘たま’の穴はどう考えたらよいのだろうと苦しんでいた3年間が夢のようだった.

 畑先生の所へたまたま来合わせた当時丸善出版部の野原剛氏のご紹介で,この模型は丸善で販売されることになった.これは後の話であるが,丸善の調査では,この模型は不正確であるから,化学の専門家に向かないという疑念が出たことがあった.冬の寒い一夜,人気のない丸善の広いフロアーで,ただ一人丸善が引き受けた以上,化学の専門家にはだめでも,生け花の学校や,お料理の学校へでも売り込むからと一生懸命,“もう作るのは止める”という私を説得しようとした前島重孝氏,またそれを奥の方で待っておられた故桜井喜代志取締役のお姿が忘れられない.

 今から考えると大変無謀で失礼な話であるが,書店の書架の中から化学と名がつく本の背表紙に書かれた先生方のお名前を選び出し,各大学宛に見本をお送りし,ご意見を求めたのは,その時の話である.発送して3日目に,仁田勇先生から激励のお手紙を頂き,島内武彦先生,斉藤喜彦先生と,私の予想もしなかった,大勢の先生方から激励された.この時の先生方のお手紙は,丸善がこの模型の販売に真剣に取り組む契機となった.“対称多面体を使用しているので,知らず知らずの内に対称の性質がのみ込めるようになろう”と書いて頂いた仁田先生のお言葉が,その後この模型を製作する大きな拠り所となった.幸せなことに激励の手紙は,海の向うからも頂いた.1967年にL.Pauling博士, 1968年にはW.Lipscomb教授からであった.Utah大学の児玉剛二教授からは, Lipscomb教授が,アメリカ化学会の例会で講演されたとき,よほどうまく模型を使って下さったのだろう,模型に質問が殺到したので,児玉教授が,予定外に檀上に上り,分子模型についての説明をする羽目になったとのお手紙を頂いた.

 Pauling博士,Lipscomb教授共に,当時ボランの分子模型を作るために,5角12面体の‘たま’を作るよう示唆された.この‘たま’は,32面体という形で最近金型を作り上げたが,これを10年間も作らなかったのは,3角20面体を作るには60°で5方向へ向かう角度が必要であるのに,5角12面体だと約63°24′になってしまうからである. しかし対称を考えた場合この方が良いのだと考え, 5角12面体の角をさらに削り, 3角20面体と5角12面体の複合形である32面体をこしらえた.これで恐らくPlatonの正多面体の面には,すべて穴のあけられる模型ができ上ったことになろう.

 
この模型は,今,2つの方向へさらに発展しようとしている.1つの方向は,建築家やデザイナー向けの模型であり,他の1つは,電波の発信受信に使用するアンテナである.このアンテナは畑先生の命名によって,4次元モデルと私は呼ぶことにしているが,正8面体の稜線を一筆書きで描き,これをアンテナとして,使用しようとするものである.結晶にX線を当てるように,校庭に金属で結晶構造の模型を作って,メートル波を当てたらどうなるだろうと,中原先生に奇妙な質問をして,正8面体の結晶構造状のものに,色々の周波数の電波を送り,構造と電波の吸収や反射の関係を調ぺているうちに,いつの間にか,実用品になってしまった.もしも新しい展望が開ければ幸いだと思っている.

 お茶の水女子大学におられた,内海誓一郎先生にも,この模型は大変なお世話になっている.カタログなどに使用させて頂いている立方最密充填構造や,色々な錯体の模型は,内海先生に教えて頂いたものである.

 余りにも多くの先生方に,この模型はお世話になった.またこの模型の‘たま’の穴をあけてくれた,頑固な老人たちや,内職の‘おばさん’たち,金型を製作してくれた第一金型工業の今井社長,大勢の方々の祝福を受けて,この模型はさらに普及するだろうと願っている.

 

佐藤 和久(株式会社 日ノ本合成樹脂製作所)

 

 

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謝辞


故佐藤和久さまのご遺族と㈱岩波書店のご厚意により当社ホームページに掲載しました。ここに御礼を申し上げます。

 

出典元


「岩波講座 現代化学」月報1(1979.5)

 

 

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