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【コラム】HGS分子構造模型を育てた人々[前編]

 


佐藤 和久


 新しいものが生まれてくる.恐らく,その当事者達にとって,これはただ偶然の重なり合いに過ぎないのであろう.しかし,少し時間をおいて,これを眺めると,大きな時の流れに組み込まれているのに気がつく.

 量子力学の創始者の一人であるW.Heisenberg教授に,“部分と全体”(山崎和夫訳,みすず書房)という自伝的著書がある.その中で, Heisenberg教授は,Platon の“ティマイオス”に,物質の最小の部分が,正多面体という数学的な形式と同一であると書かれているのに興味をもち,物理学を目指した若き日のことを回想している.私は長い間探し求めていた,HGS分子構造模型の‘ルーツ’を覗き見た気がした.

 
HGS分子構造模型は,東京目黒にある小さなプラスチックスの成型工場で作られている.この工場は,第2次大戦の少し前に創立され,ある大手の電気メーカーの真空管の樹脂部分や通信機などの部品を専門に作っていた.プラスチックスの成型品も,良いものを作るとなると,意外に難しい問題がある.

 
昭和35年頃のことであろうか.この工場で作っていた測定器類のツマミが自然に割れてしまうという事件が起きた.当時,ツマミを視覚的なもので区別しようとする要請があり,鮮やかな色のつく尿素樹脂を使用したためである.尿素樹脂の成型品は,自然に割れてしまうのだと主張した私に,そのような主張は,分子の構造の知識もなしにしても駄目ですよと,得意先の技術者から注意され,そのとき始めて‘分子の構造’という言葉を聞いたのが,全く化学には無知な町工場が,分子模型を作る, 1つの動機になった

 このエ楊の近くということもあって,農林省林業試験場の化学部におられた,今村氏や古谷氏が知恵を貸してくれた.ちょうどその頃,“化学の領域”という雑誌に載った.畑一夫教授(東京都立大学),島内武彦教授(東京大学),中西香爾教授(東北大学)の分子模型に関する座談会の記事も,今村氏からいただいたものである.その中で,学生に持たせられるような,安くて良い模型がほしいといっておられた畑一夫先生の言葉が強烈な印象として残っている.私が人の役に立つ模型作りを目指したのは,この畑先生のお話に勇気づけられたからである.

 
立方体の8隅を切り落とすというアイデアは,私が最初に手に入れた化学の専門書の插図を見間違えたことによって生まれた.ちょうど2p電子の重なった状態の説明図で,1つの電子雲が,xyz座標軸の中間にあるように,私の目には映った.今から考えれば,その余弦が1/√3になる54°44′という角度を求めるのに,渋谷のとある喫茶店に, 2時間近くもねばったのを覚えている.サイコロの各面に穴をあけて棒を入れ,模型を作るという考えかたは,それ以前に,もちろんあったろうし,またその8隅を削り落として穴をあけ棒を插入するという考えかたも,われわれのように物を作ることを天職とするものにとっては,決してめずらしいアイデアではない.しかし,もしこの模型が便利であるといわれることがあるとすれば, しなやかな棒とそのはめ合せであろう.棒はポリアセタール樹脂という強靱な樹脂を使用し,そのはめ合せは±3μmの範囲内で,棒と穴を加工することを目標にしている.そして対称の要素の多い多面体を使いやすい分子模型にした功績は,この模型を指導したり,助言や激励をして下さった多くの先生方に帰せられるべきであろう.

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佐藤 和久(株式会社 日ノ本合成樹脂製作所)

 

 

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謝辞


故佐藤和久さまのご遺族と㈱岩波書店のご厚意により当社ホームページに掲載しました。ここに御礼を申し上げます。

 

出典元


「岩波講座 現代化学」月報1(1979.5)

 

 

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