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學鐙2021年夏号掲載 書評『AIの倫理学』(井頭 昌彦)

 

『AIの倫理学』

原書名:AI Ethics

直江 清隆 訳者代表
久木田水生・鈴木俊洋・金光秀和・佐藤 駿・菅原宏道 訳

四六・208頁 定価:2,640円(税込) 丸善出版 発行

 


 

 一般に、広範な応用可能性を持つ先進技術が社会に導入される際には、多くの倫理的・法的・社会的な問題が生じる(しばしばELSIと呼称される)。しかし、AIに関しては、そうした問題の範囲と深刻さは、その他の技術に比してより大きいと言えるかもしれない。というのも、AIは、人間を人間たらしめる重要な特徴とみなされてきた《思考》や《高度な知的行為》を模倣・シミュレート・代替しようとするものだからだ。AIが代替しようとしているのが従来の社会において人間が果たしてきた重要な役割(の一部)であること、またそれが人間とは異なった仕方で、しかもある側面では人間よりもずっと優れた形でなされることを考えれば、AIの社会導入が多くの問題や軋轢を産むことはある意味で当然とも言える。そして、近年のAI技術の加速度的発展によって、この技術に関わる倫理的・法的・社会的な問題への取り組みは現代社会における喫緊の課題となっている。
 
 本書は、そのタイトルが示すように、AI技術の社会導入にともなうさまざまな倫理的問題を包括的に論じた書籍である。実際、本書の中で取り上げられる倫理的問題は、AI技術によるプライバシー侵害や差別助長といったすでに生じている現実的なものから、汎用AIの可能性やAIの道徳的地位といった近未来的な問題、果ては人間中心主義からの脱却可能性のようなスケールの大きな思想的問題まで、極めて多岐にわたっている。また、そうした倫理的問題を論ずる上で前提となるAIやデータサイエンスに関する基礎概念や基本的知識についても丁寧な説明がなされており(第5章および第6章)、読者は安心して議論についていける仕様になっている。
 
 
そうした中で、際立った特長の一つとして評者の眼に映ったのは、AI関連の《政策提言》についての議論である。本書第10章と第11章では、現状でなされている政策的議論の紹介やその問題性、およびそうした政策立案に臨む際の心構えなどが紙幅を割いて論じられている。EUの各組織はこうした点について先駆的な議論を行っているが、そこでの最新の論点を紹介しつつ背後にある倫理思想や法的原則と適切に結びつけながら解説する手さばきは、若くして国際技術哲学会会長を務める一方で欧州委員会の専門家会議委員を歴任している著者の面目躍如といったところだろう。
 
 
加えて、これらを論ずる際の著者のポジティブなスタンスも本書の一つの特徴と言える。これはAIに限らないが、科学技術に関する「倫理」的考察という文字を目にすると、多くの人はどうしても「どのような制約を設けるべきか」「非難されないためには何に気をつけなければならないか」といったネガティブな視角からのイメージを持ちがちである(このことは法規制や倫理についての議論が現場の技術者や研究者から敬遠される一因になっているかもしれない)。これに対して著者は、AI倫理の議論が禁止や制約といったネガティブな事柄だけに焦点化すべきとは考えていない。むしろ著者は、AI倫理を、望ましい社会像を描いたり、AI技術に信頼性や透明性といった付加価値を与えたりするための手がかりとしても構想しているのだ。こうした視点は、AI技術やその社会実装、および関連ビジネスに関与するすべての人にとって利益をもたらしうるものだが、本書はこの点でも格好の概説書となっている。
 
 
最後に。本訳書の底本では、扱っている話題の性質上やむを得ないことだが、多岐にわたる分野の専門用語が用いられており、読者にある程度の事前知識を要求するものとなっていた。しかし、本訳書に関しては、訳注が大変充実しており、ほぼ全ての専門用語について例外なく説明が与えられていることで、この問題はかなりカバーされている。本書を多くの読者が読みこなせるものにしてくれた訳者達の丁寧な仕事ぶりに感謝したい。なお、第3章と第4章の込み入った哲学的議論の紹介部分は、訳文はこれ以上ないくらいに丁寧なのだが、事柄の複雑さもあってさすがにスラスラと読めるというレベルではない。読んでいて「難しいな」と感じた読者はそこで立ち止まらず、ひとまず先に読み進めることを優先したほうがよいかもしれない。例えば、第4章の議論は第8章を読んだ後に戻ってきて再読することでより理解しやすくなるだろう。
 
 

 

井頭 昌彦(いがらし・まさひこ)

一橋大学大学院教授
 

 


 

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