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學鐙2022年夏号掲載 書評『世界の公用語事典』(井上 京子)

 


『世界の公用語事典』

庄司 博史 著

A5・430頁 定価:22,000円(税込) 丸善出版 発行

 

 

2022年6月3日から6月8日に掛けて、小社の手違いにより、著者の文章には無い部分が含まれた状態で、本書書評として公開しておりました。

謹んでお詫び申し上げ、ここに訂正いたします。(2022年6月8日)

 


 

 昨年度末、日本でウクライナ語の入門書が売り切れたという。世界情勢が大きく動くとき、その渦中に置かれた人々の母語に注目が集まるのは必然だが、そもそもウクライナという国で話されている言語は何なのか、ロシア語はウクライナでは公用語なのか、ウクライナ語はロシア語とどう違うのか、ウクライナから近隣諸国に避難する人々はポーランド、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、モルドバ、ベラルーシ、ロシア等でそれぞれどの程度意思疎通ができるのか、そんな疑問が湧いたとき、本書は答えの手掛かりを与えてくれる。
 
 本事典の主目的は「公用語」の定義や分布を示すのではなく、日本語話者と関係の深い80余りの言語(したがって「日本語」はその数に含まれていない)について六つの項目、すなわち①言語情報、②他言語との関係、③使用文字とラテン文字転写の読み方、④発音の特徴、⑤文法の基本的特徴、⑥会話表現、をわかりやすく解説することであり、実践的な教育現場での経験を基に78名が分担執筆している。
 
 
そもそも公用語事典を我々が手に取る用途や目的には次のようなものがあるだろう。
 
 
まず一般人にとっては海外旅行の際、渡航先の言語が何かを調べたい、そんなときはまず行先の国名から公用語を推測し検索する。ただその検索方法には一般常識も問われる。例えばアメリカ合衆国の公用語は「米語」ではないし、連邦公用語は2022年4月時点では規定がないので「英語」でもない。逆に「英語」が公用語と規定されている国や国際機関を調べるには本書が役立つ。
 
 
また、世界情勢に大きな変動があった時や、紛争地域で話されている言語を手掛かりとして国際関係の知識を得たい、そんな場合も本書は、話者数、他言語との関係を含めた歴史的背景等を簡潔に提示しているため、そこで言及された地域や国をWEB上の地図で確認したくなること必至である。
 
 
さらに、純粋に言語学的な興味を持つ読者にとっては、本書を類型論、歴史言語学、言語政策、社会言語学、応用言語学、教育人類学等の分野と関連付け、必要な言語や文化的知識を入手することができる。
 
 
本書の構成は、まず世界を八つの地域に区切り、それぞれ東アジア(6言語)、東南アジア(7言語)、南アジア(8言語)、中東・中央アジア・コーカサス(13言語)、ロシア・中欧・東欧(14言語)、北欧・西欧(19言語)、アフリカ(7言語)、オセアニア・アメリカ(5言語)をカバーしている。ヨーロッパの言語が多く取り上げられているのは、ヨーロッパ言語共通参照枠(CEFR)加盟国の公用語と共通点があるのかもしれない。編者の庄司氏がフィンランド語研究者であることも関係するだろう。
 
 
本書収載の各公用語記述の構成についても触れておく。冒頭の《一言アドバイス》は、学習者への耳寄り情報や学習の難易度を端的に提示している。《言語情報》には、当該言語の言語系統、使用地域、ステータス、使用者数などの基本情報とともに、その言語の歴史や変遷が簡潔にまとめられている。《他言語との関係》は近隣言語との類似性や外来語の影響、学習上参考になる傾向が挙げられている。《発音の特徴》は、日本語比較の説明が詳しく、カタカナ文字とラテン文字が併記され、国際音標文字(IPA)を伴う説明には巻末付録があり、推測しやすい工夫がなされている。《文法の基本的特徴》では、本書に取り上げられている全言語に共通する要素(文型、語順、格、冠詞の有無、時制、Yes-No疑問文等)と、特定言語にのみ該当する特徴が示され、話者の多い有力言語には紙面が二頁多く割かれている。また、言語学的な関心から本書を利用したい読者のために「コピュラ文、目的語文、所有文、存在文など共通のテーマの表現の比較」も含めた点を編者は挙げている。最後の《会話表現》は、あいさつや決まり文句が記述されており、近隣言語との類似点・相違点が容易にチェックできて大変興味深い。比較言語学の知識がない読者でも、全く未知の言語の同系性や親縁性を見つけることが可能であろう。本書の会話表現を比較してみれば、例えばウクライナ語と共通点が多いのははたしてベラルーシ語、ロシア語、ポーランド語のどれか、といった読み方・探し方もできる。
 
 
本書は取り上げる言語や地域に偏りがあり、紙面の制約上簡略すぎて外国語学習教材としては向かない面もあるが、WEB上でピンポイントに特定言語のみの情報を拾うようなネット社会の検索手段には引っかかってこない、諸言語の横のつながりを比較しながら新たな発見を読者が楽しめる書物である。

 

井上 京子(いのうえ・きょうこ)

慶應義塾大学教授
 

 


 

 

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