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學鐙2021年冬号掲載 書評『中欧・東欧文化事典』(木畑 洋一)

 

『中欧・東欧文化事典』

  中欧・東欧文化事典編集委員会 編 

羽場 久美子 編集代表

A5判・866頁 定価24,200円(税込) 丸善出版 発行

 

 


 

 定評のある文化事典シリーズの一角を占めることになったこの『中欧・東欧文化事典』の対象となっている地域は、大半の日本人にとって馴染みのある場所ではない。ヨーロッパという言葉で多くの人々がまず連想するのは、西欧の国々であり、中欧・東欧の国々についてはあやふやな知識しかもっていない、というのが一般的な状況ではないだろうか。筆者も、恥ずかしながらその一人である。そうしたごく断片的な知識しかもたない者が、本書を繙いてみて感じたことをいくつか記すことで、書評に代えたい。本書の各項目は、執筆者それぞれの個性を生かす形で書かれており、見開き二頁のなかによくこれほど豊富な内容を書き込んであると感心する項目も多いが、以下では主として項目の立て方に即して感想を述べることにする。

 本書全体に関わってまず気になったのは、中欧・東欧という地域の捉えがたさである。それについて、編集代表の羽場久美子氏は「中欧・東欧の意味するもの」という項目で、地域の定義は困難であるとしつつ、「地理的・歴史的に大国の「はざま」に位置した多様な民族共存地域」と性格づけている。「はざま」としての性格は確かに重要で、「ボーダーランドとしての東欧」といった項目で正面から扱われている他、随所でうかがうことができる。またここにはさまざまな民族性をもつ人々が複雑にいり混じりながら居住しており、その文化の様相も多様であるが、その多様性への目配りはよく行き届いており、日本での研究の充実ぶりが示されている。ただ現存する国家のなかで、アルバニアのみは取りあげられ方が少ないと感じたが、それはアルバニア研究者の少なさゆえであろうか。

 中欧・東欧の民族に関わって筆者が関心を抱いてきたのは、ユダヤ人とロマであり、本書を開いてまず参照してみたのは、それらについての項目であった。ユダヤ人については、「東欧のユダヤ人」「東欧ユダヤ音楽」の他、「東欧のユダヤ教」「ポーランドのユダヤ人」などの項目があり、さらに「イディッシュ文学」も立項されていて、なかなか読み応えがある。またロマについては、「東欧のロマ」と「東欧のロマ音楽」といった項目が立てられており、興味深い内容(たとえばロマによる地域的音楽と職業的音楽の区別)が盛り込まれている。さらに、同じく国をもたないが、日本ではほとんど知られていない人々である「ヴラーフ」が立項されて丁寧な説明がなされていることも眼を惹いた。

 文化のいろいろなジャンルのなかで、特におもしろかったのは、「世界に誇る食文化」という章題のもとの、食事・飲み物に関わる諸項目である。「チェコのビール」「ハンガリーワインについて」「ブルガリアのヨーグルトと食文化」といった項目に加え、「豚の解体と食肉文化」が論じられているのに、最初は驚いたが、読んでみると、豚肉の消費の歴史的変遷が論じられた後に豚の解体の具体的な過程が分かりやすく説明され、さらに現在それがグリーンツーリズムの目玉になっているとあって、立項の趣旨に納得させられた。

 最初意外に思った項目は他にもある。たとえば、多様な人々の共生に関わる項目として、「ハンガリー大平原の羊」や「カルパチアの羊飼い」などの項目がならんでいる。羊がハンガリー社会とバルカン社会、さらにはオスマン社会までをも結ぶ紐帯となっていたという議論は、魅力的である。

 また、先に中欧・東欧は日本人にとって馴染みのある場所ではないと書いたが、「日本との関係」という章の各項目を見ると、多くの日本人がこの地域の人々と深い関係をもってきたこともよく分かる。最も興味深く読んだ「昭和天皇の白馬」という項目では、昭和天皇が戦前に騎乗していた白馬がオーストリア=ハンガリー帝国ないしハンガリー王国産であったことが紹介された後、戦前の日本とハンガリーの政治体制の類似性にまで議論の射程が伸ばされている。

  最後に、本書の巻末に付録としてつけられている地図、年表の内、とりわけ年表がよくできていることを特筆しておきたい。事典本文と連動し、読んで楽しめる年表である。たとえば一八九六年には、「第1回オリンピック大会がアテネで開催。ヴラーフにルーツを持つギリシャ人ゲオルギオス・アヴェロフが資金提供を行う」とあり、前述した「ヴラーフ」の項目を再読したくなる。きわめて巧みな事典の作り方であるといえよう。

 

木畑 洋一(きばた・よういち)

東京大学・成城大学名誉教授
 

 


 

 

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