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【丸善創業150周年】出版物で辿る丸善の歴史 ~オイルショックとその後の回復期~

 今年は丸善の創業から150年を迎えます。

この節目の年に丸善の出版物を全12回の連載で振り返ります。

それぞれの時代を象った、丸善グループの写真や画像をご覧ください。

 

丸善出版 創業150周年記念プロジェクトチーム

 

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バブル期とその後(昭和61年~平成8年) >

第一次オイルショックとその後の回復期 昭和48年~昭和60年(1973年~1985年)


 

 

 

包装紙にみる丸善の歴史

 

 丸善150年の歴史の中では、包装紙も様々なデザインが生み出されて使用されてきました。そのデザインには丸善の思いが刻み込まれ、その時代も映し出されています。

現在丸善雄松堂に保存されている包装紙デザインとその背景を紹介します。

 

 

現存する最古の丸善の包装紙。明治30年代のもので、当時取り扱っていた各種商品の説明がある。25の枠の中に商品の図柄と名称を交互にちりばめたデザインで、一見ポスターのようでもある。

丸善の本店は関東大震災と東京大空襲の二度にわたって焼けており、戦前の資料は少ない。

この包装紙は顧客が自宅に保存していたものが持ち込まれたもの。

 

 

明治~昭和初期まで長期間使用された丸善の包装紙は、茶色のクラフト紙に社名と取扱商品名を濃紺で印刷したもの。当時には珍しく欧文文字が多用され、洋書と洋品の丸善を演出している。

この欧文が、当時のインテリ層の知的イメージを代表していた。

 

戦後4年間だけ使用された包装紙。戦後で紙が十分になかったため、社名を印刷した包装紙を

短冊形に切り、しおりのように本に挟んで買い上げ品の目印とした。

 

 

戦後まもなくのクリスマス用包装紙。西洋の文物を積極的に紹介してきた丸善は、クリスマスにおいても他をリードしており、戦前からクリスマス用包装紙を作っていた。紙が貴重な戦後の時代においてもクリスマス用の包装紙は特別に作られ、通常用の包装紙のように短冊型に切ることなく商品全体を包んでいた。東京や横浜には当時からクリスチャンが多く、洋書や洋品を扱っている丸善には、外国のお客様もいらしていた。そうした環境からも戦後すぐにクリスマス用の包装紙が必要だった。

 

 

第一次オイルショックとその後の回復期昭和48年~昭和60年(1973年~1985年)の丸善の出版物


 昭和48年10月にOAPECが原油価格を1バレル当たり3.01ドルから5.12ドルに,翌年1月にOPECが5.12ドルを11.65ドルに値上げし,さらに原油の減産が加わり世界経済は混乱に陥った(第一次オイルショック)。

わが国は昭和30年からつづいた二桁成長(名目GDP)が終わり,戦後初めて実質GDPがマイナスとなった(-1.2%)。しかし,列島改造ブームによる地価急騰ですでにインフレであったところに,オイルショックに便乗した値上げでインフレが加速され,消費者物価は昭和48年11.7%,翌年は23.2%も上昇した。そのため,昭和49年の名目GDPは19.3%も伸長し実質と名目が著しく乖離した。一方,昭和48年20%,翌年33%賃金が上昇したこともあり,出版業界は昭和49年も対前1.3倍と売上げを伸ばし,不況知らずの業界といわれた。

当社もオイルショックに伴う用紙不足と狂乱物価への対応に苦慮したが,定価アップで売上を維持した。昭和48年~60年の間,売上は伸びたものの旧来の蔵版の改訂によるものが主で,その中でも『新実験化学講座』(全21巻,36冊 昭和50年~53年)は各巻平均1万部を売り上げ,その寄与は大きかった。この間の当社出版の特記事項を以下に記す。

1. 臨床医学への挑戦
昭和49年~53年毎年『臨床診断と治療1974』を,51年と53年に『最新の外科診断と治療』を出版した。両書とも米国Lange社の定評ある原書の翻訳で,訳者は多数に上り,本書をきっかけに臨床分野に進出しようと試みた意欲的な出版であった。

2. 新しい雑誌の刊行
昭和56年に医学雑誌「循環科学」を,昭和60年に物理科学雑誌「パリティ」を創刊した。
前者は平成11年(1999)までの19年間,後者は平成31年(2019)までの35年間毎月刊行した。当時,雑誌は安定した売上と広告収入が見込めるだけでなく,著者のリソース,雑誌から生まれる派生企画など魅力的な媒体であった。

3. シリーズ企画
この間に新たなシリーズを13点刊行した。しかし,オイルショック以前にスタートした
シリーズよりも全般的に振るわなかった。その中で健闘したのは『基礎生化学実験法』
(全6巻 昭和49年~51年)で,企画の時点では類書がなく,今後伸びる可能性を秘めた分野にフォーカスした企画は成功する一例といえる。

 

  

 

臨床診断と治療

M. A. Krupp,M. J. Chatton 著  中尾喜久・高久史麿・和田 攻 監訳

昭和49~53(1974~1978)年発行 B5判

『臨床診断と治療1974』 1,020ページ,昭和49年,8,500円

『臨床診断と治療1975』 1,060ページ,昭和50年, 8,500円

『臨床診断と治療1976』 1,098ページ,昭和51年, 8,200円

『臨床診断と治療1977』 1,100ページ,昭和52年, 8,500円

『臨床診断と治療 原書17版』 1,146ページ,昭和53年, 9,800円

 

  原書Current Diagnosis & Treatment)初版は1962年の出版でCDTの名のもとに米国のみならず世界各国の医学生,実地医家の座右の書となっている” と監訳者の序文に記されている。当時,臨床系を手掛けていなかった当社としては,この分野に進出するには,①定評ある原書を見つけ翻訳すること,②監訳者に医学界の重鎮をお願いすることの2点が必要条件であったのではないか? …というのは,オリジナルの内科学を出版するには著者をはじめハードルが高すぎることと,訳者のリソースのない当社にとっては訳者(第一線の臨床医)を重鎮の監訳者から選んでもらえることの2点が克服できるからである。

 本書『1974年版』は7,000部を販売し順調なスタートを切った。しかし,毎年1,000ページを超える原書を翻訳出版することの大変さ,さらに年を追うごとに部数が逓減してしまったことから5年でストップした。

 現在,内科学のテキストとして圧倒的なのは,『内科学』(朝倉書店)および『ハリソン内科学』(メディカルサイエンス・インターナショナル)と思われるが,前者初版は昭和52年,後者は平成15年(2003)で,本書はこれらに先駆けた大部で本格的なテキストだった。本書から派生する可能性のあった企画も視野に入れると5年で止めてしまったのは惜しまれる。

(書影は『臨床診断と治療 1974』)

 

 

最新の外科診断と治療

J. E. Dunphy, L. W. Way 著

石川浩一・三島好雄・玉熊正悦・島津久明・河野信博 監訳

昭和51~53(1976~1978)年発行 B5判

『最新の外科診断と治療 原書2版』 1,178ページ,昭和51年,15,000円

『最新の外科診断と治療 原書3版』 1,200ページ,昭和53年,18,000円

 

 本書は“Current Surgical Diagnosis & Treatment”の翻訳で,“1975年春に原書2版が出版されたに,日米の両出版社の間に日本語版刊行の契約ができ,私共がその翻訳を依頼された” と監訳者の「序文」に記されている。この「序文」から当時の当社の臨床系への進出の高い意欲が窺える。

 『臨床診断と治療』(別掲)の「原書序文」に“本書の書名“Current Diagnosis & Treatment1974年版からは“Current Medical Diagnosis & Treatment”に変更した。これは,外科と小児科同類の書籍が出版され,混乱を避けるため” とあるので, 1975年春の原書刊行後1年半で日本語版の出版に漕ぎ着けられたのは「外科」が『臨床診断と治療』の姉妹版として出た絶好のタイミングによるものと推測される。

 出版契約を滞りなく交わすことができたり,普段研究室にほとんどいない先生に一発で電話がつながって面談のアポがとれたりすると,その企画は出版も売行きも順調というグッドオーメンがあるが,本書は残念ながらそれには当てはまらなかった。『原書2版』も『原書3版』も初版をクリヤーできなかった。テキストとして15,000円は高すぎた(昭和51年の国家公務員上級職甲の初任給86,000円)が,当時,新しい分野に進出しようという意欲を持っていたことを「心の片隅にメモして」おき,出版はいつまでも「夢の途中」であることを思い起こしたい。

(書影は 『最新の外科診断と治療 原書3版』)

   

 

 基礎生化学実験法 全6

阿南功一・紺野邦夫・田村善蔵・松橋通生・松本重一郎 編

昭和49~51(1974~1976)年発行 A5判

『1 生物材料の取扱い方』 388ページ,昭和49年,3,500円

『2 抽出・分離・精製』 410ページ,昭和49年,3,800円

『3 物理化学的測定Ⅰ』 394ページ,昭和50年,3,800円

『4 物理化学測定Ⅱ』 426ページ,昭和50年,4,300円

『5 化学的測定』 444ページ,昭和51年,4,300円

『6 生化学的測定』 330ページ,昭和51年,3,300円

 

 1970年代半ばは人工的な遺伝子組換えが実現し,分子生物学やバイオテクノロジーが花開こうとしていた時代であった。この時代にこれらの基礎となる生化学も著しく発展したが,本講座の「発刊にあたって」に過去1015年の間に生化学研究法はますます専門化され,複雑化されてきており,その分野はまことに広範囲に亘っている と記されているように,本講座は生化学に基づいて最先端の分子生物学やバイオテクノロジーを目指すという趣旨ではなく,環境・食品・医薬などの広範囲の分野に生化学のしっかりした実験法を伝授することを主眼としていたことが分かる。最も基礎的な第2巻が他の巻の約2倍の実績を残したことからも,最先端を狙わなかったことが功を奏したといえる。

 本講座がこの時期に出た『環境・防災ライブラリー』『合成化学シリーズ』『環境汚染物質シリーズ』『磁気工学講座』などの他のシリーズよりはるかに好評だった理由として,新しい分野を狙ったものの最先端は避け短期に刊行したことがあげられるのではないか?  短期刊行は出版社にとって見果てぬ夢といっても過言ではないので,たまたまであった可能性が高く,また新しい分野を狙いつつ最先端を避けたことも最先端にいない編者を選んだ結果だったのかもしれない。この時代に流行った「出版は水もの」という言葉がよみがえる。

(書影は『1 生物材料の取扱い方』 )

   

 

科学大辞典

国際科学振興財団 編

昭和60(1985)年発行

B5判,1,680ページ 本体28,000円

 本書は1985年3月~9月に開かれた国際科学技術博覧会(通称つくば万博)に国際科学振興財団がコミットして、つくば万博の記念出版という位置づけで生まれた。

 本書「序」には “専門の細分化が急速に進みつつある今日,科学技術者が自己の領域外のを得るうえの助けとなり,また社会人が日常遭遇する日進月歩の出来事について正確な事実知るための手引きとなるもの,それが本辞典である” という刊行の趣旨が述べられている。これは理工系のほとんどの辞典だけでなく人文・社会科学系の辞典にも当てはまる方針で,かつては紛れもない普遍的な編集方針であったが、インターネットが席巻するいまも普遍的といえるのだろうか?

 「序」で興味深いのは採録した用語についての説明で電子計算機とデータベースの活用によっ60万篇の科学技術論文に現れたキーワード1,000万と文部省学術用語集9万語…を渉猟して32,000語を収録し” と記されていて,ビッグデータといわれるもののひな形が顔を出している。

収集・分析するデータ量は比較にならないが,発想は少しも変わらないことが分かる。

 本書は1項目当たり100~300字程度の解説が付いた小項目辞典で,当時は小項目辞典や用語辞典にニーズがあって本書も28,000円と高額であったにもかかわらず2万部以上を売り上げた(当時の国家公務員の初任給121,600円) 。

 平成17年(2005)に本書『第2版』(1,830ページ,35,000円)を出したが,言葉の意味や定義などを知りたい場合はインターネットで調べられる時代となって,小項目辞典はニーズが著しく縮退して『第2版』の売上は激減した。

(書影は『第2版 科学大辞典』) 

  

 


(物理科学雑誌)

編集長 大槻義彦

昭和61(1986)年5月~平成31(2019)年5月 発行

A4変型判 本体1,000~1,400円

 本誌は創刊号から最終号まで編集長を務めた大槻義彦先生の肝いりで誕生した雑誌で,大槻先生の「創刊にあたって」と「廃刊のご挨拶」に創刊の経緯と編集方針が明確に述べられている。以下これら二つの序文を要約して記す。

 大槻先生は,創刊から数年前に日本物理学会の機関誌『日本物理学会誌』の改革(難解な記事の抜本的な改革)に取り組んだが理事の任期中には果たせなかった経験があり,新たな物理関連雑誌をつくることを決意した。それは,物理学が細分化されて近接の分野のことすら容易に理解できなくなっていて,また理解しようという気運もなく,さらには素粒子物理や物性物理だけでなく生物・高分子・天文・地球物理に広がる物理科学全般を取り上げる媒体がなかったことに起因する。

物理科学全般に目配りし,専門家でない読者が物理の魅力や動向を知ることができる雑誌を目指したが,米国物理学協会が出しているPhysics Todayがまさにそれであった。商業誌 と米国物理学協会という公的機関が出している雑誌がアライアンスするのは大変ハードルが高かったが,それを乗り越えて「パリティ」の創刊に漕ぎ着けた。

 雑誌は雑誌自体の売上と広告収入が両輪となって安定するが,本誌は創刊当初から広告が片方の輪にはならなかった。しかしその代わり本誌から『パリティ物理学コース』(テキスト),『パリティブックス』(ポピュラーサイエンス),『パリティ別冊シリーズ』などが誕生し,それらはいずれも好評であったため当社の物理関連書が充実するという大きな効果があった。また,主に大学や研究機関の研究室に常備されたことから大学院生によく読まれ,彼らが当社出版物の読者や著者予備軍になるという間接的な効果もあった。

 しかし,今年の5月号で幕を下ろすことになった。昨年暮れに出したアナウンスでは「物理の専門雑誌として一定の役割を担ってまいりましたが,雑誌市場ならびに教育・学術を取り巻く環境の変化により,月刊誌としての継続,編集体制を維持していくことは困難と判断し休刊にいたりました」と記した 。  

(書影は「パリティ」Vol.34 NO.05(2019年5月号)

  

 

循環科学

医学月刊誌

昭和56(1981)年1月~平成11(1999)年3月

B5判のちA4変型 本体1,600円~2,000円

 「循環科学」という雑誌名は循環器病に関する実地臨床医家(主に開業医)向けの医学雑誌としては若干奇異な名称に思われるが,この雑誌名は当時の日本医師会会長で長い間医学界のドンとして君臨した武見太郎会長の命名によるものである。

 武見会長の「創刊に寄せて」には “サーキュレーション・サイエンスが医学の中で非常に広いをもつものへと現在発展しつつあります。かつての心臓病学,血管病学,マイクロサーキュレーション等の学問が統合されてサーキュレーション・サイエンスが形成されてきております” と記されている。また,本誌の初代編集委員長を務められた国立循環器病センターの曲直部壽夫センター長の「巻頭言」には “わが国における循環器疾患は,その死亡率,有病率において高く,わが国の死亡原因の中で脳卒中は第1位,心臓病は第3位で,今後の中高年齢層の一層の増加に,脳血管障害,心臓病,高血圧症も増加の一途を辿るであろう。…このような状況下にあって厚生省は…昭和52年国立循環器病研究センターを設立し,…循環器病制圧の中枢的役割をずるものとしてスタートせしめた。…循環器疾患の診療,研究の上に提供される情報量も益々増しつつある。ここにこれらを適切に整理して,科学する実地臨床医家のニーズに応えられると技術として提供することは極めて意義あることと考える” と本誌刊行の趣旨が明確に述べられている。これら二つの序文から,循環器疾患を総合的に研究・診療する気運が高まり,その中心的役割を担う国立循環器病センターが設立されて本誌が誕生したことが分かる。時代のニーズに適い,また当社の臨床系に進出するという懸案にも合致した雑誌創刊であった。

 刊行当初からおよそ10年間は製薬メーカー中心の広告が入り部数も安定していたが,その後は徐々に広告・部数ともに逓減し,また,本誌から生まれた企画がわずかしかなかった(失敗したシリーズ企画はあった)ことなどから,刊行19年で幕を下ろすことになった。

(書影は「循環科学」Vol.17 No.1(1997年1月号))

  

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≪ バックナンバーと今後の予定 ≫

1月  明治時代

2月  大正から戦前・戦

3月  戦後直後

4月  戦後復興期

5月  高度成長期Ⅰ(昭和30年代)

6月  高度成長期Ⅱ(昭和40年~オイルショック)

7月  オイルショックとその後の回復期(昭和48年~昭和60年)

8月  バブル期とその後(昭和61年~平成8年)

9月  平成8年~現在

10月「學鐙」の歴史

11月『理科年表』の歴史とトリヴィア

12月 この10年の取組み

 

 

 

丸善 創業150周年記念サイト

http://150th.maruzen.co.jp/

 

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