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【丸善創業150周年】出版物で辿る丸善の歴史 ~明治時代編~

今年は丸善の創業から150年を迎えます。

この節目の年に丸善の出版物を全12回の連載で振り返ります。

それぞれの時代を象った、丸善グループの写真や画像をご覧ください。

 

丸善出版 創業150周年記念プロジェクトチーム

 

 

大正から戦前・戦中編 >>

明治の丸善


明治2(1869)年、近代日本のスタートと時を同じくして「丸善」は誕生しました。

創業者の早矢仕有的は、医師として成功を収めていたにもかかわらず、福澤諭吉の教えに触れ、「いま自分が果たすべきことは日本人の幸せのために、外国商館に奪われつつある国益を取り戻すため事業を起こす」ことだと決意し、商売には素⼈ながらも、事業を通じてプロを目指したのが「丸善」の黎明期の姿でした。

明治になったばかりの当時の人々は、新しい知識を得ようと知的好奇⼼は旺盛で、「丸善」が紹介・提供した洋書、文化雑貨はその期待に応えるものでした。

創業の翌年に東京日本橋に店を開設。その翌年には大阪、翌々年には京都にと支店を設けていきます。

 

 

丸善の創業者 早矢仕有的(はやし ゆうてき)

1837-1901

美濃国(岐阜県)笹賀村に生まれる。医師を志し、18歳のときに郷里で開業した。

江戸時代末期、優秀な医師として活躍していた有的は、郷里の庄屋・高折善六にその才を見いだされ、江戸に出て開業。蘭学だけでなく英学を学ぶ必要性を感じた有的は、慶応3(1867)年に慶應義塾に入塾する。塾の主催者である福沢諭吉に実業の才能を認められ、入塾2年後の  明治2(1867)年に「丸屋商社」を創業した。

時代を読む先取の精神と旺盛な合理的精神によって、多くの業績と逸話を残した有的は、創業時から明治18(1885)年まで初代社長をつとめ、明治34(1901)年に64歳の生涯を閉じた。

 

西洋文化・文物の導入という創業の目的のもと、書籍はもちろん、万年筆、タイプライターをはじめ新しい時代にふさわしい、さまざまな商品を輸入紹介。

明治30年以前の商品カタログの取扱商品には、シャツ・手袋・煙草・ランプの芯・マッチ・石鹸・帽子・鉛筆・バター・ウスターソース・カレー粉・コンデンスミルク・ビール・リキュールなどがみられます。

   

 


丸屋商社の記

丸善の事業の根本方針を述べた、極めて重要な文献。たとえば、困難な貿易事業を遂行するために、同志相結んで働社を結成し、信用を重んじ、堅実の方針を以て事に当るべきことを説く。この「丸屋商社の記」はその後追加改訂されて、特に相互扶助の考え方などが社内規則にとり入れられ、この制度がのちの生命保険の制度に繋がっている。

 

 

 

  


明治201887)年頃の日本橋の書店と唐物店

連続した木造二階建ての土蔵造りで、唐物店の方がやや棟が低くなっている。書店の二階屋根には火見櫓があり、下屋にはZ. P. MARUYA & CO. の看板が上げられ、軒には丸屋とMとを交互に染め抜いた暖簾が掛かっていた。両側には書棚があり、その奥手に帳場格子があって、勘定場になっていた。

 

 


明治431910)年に竣工した日本橋の本社屋

4階建てエレベーターまで設備された、日本初、赤煉瓦造りの鉄骨建築であった。

帝国ホテルでの落成披露パーティには、記者として徳富蘇峰、夏目漱石などが出席した。

1階は洋品、文房具、国内刊行書、2階は洋書、3階は事務室、4階はストック置場という割り当てになっていた。

この社屋は、大正12(1923)年の関東大震災の猛火に包まれ全焼。

 

 


日本橋開橋式記念絵葉書

『丸善外史』(昭和44年2月22日発行)の折込口絵に掲載された、明治44(1911)年4月の日本橋開橋式の記念絵葉書。右端に日本橋、左端には明治43(1910)年竣工の丸善本社屋が描かれている。

 


電話番号一覧

明治23年(1890年)、『電話交換規則が公布』され、民間にも利用されるようになった。丸善はこの時にさっそく加入し、二八番の番号を獲得した。三井物産会社(二七番)、日本銀行(二九番)との間にその名を列している。個人では渋沢栄一が(一五八番)、大隈重信が(一七七番)と読み取ることができる。のちに『郵便振替貯金の規則が公布』、この時も直ちに加入し第五番を丸善株式会社が獲得した。

 

三井物産会社(二七番)、日本銀行(二九番)との間にその名を列している。

 

 

 

明治の丸善の出版物


近代出版の揺籃期。当社も創業から2年目の明治3年に創業初の出版物を刊行しました。明治期の当社の出版物の特徴は次の通りです。

 

 1. 分野においては特徴がみられず、さまざまな分野のものを出版。特定の分野にフォーカスできなかったのは、あらゆる分野で近代化が急務であった明治期を象徴している。

 2. 他の書店と合同して出版したものや、販売だけを手掛ける発売書も多数出版。版元は個人(著者)が多かった。

 3. 時代の先端を行くテーマを出版。

 

 

『袖珍薬説(しゅうちんやくせつ)

丸善の最初の出版物。明治3年(1870年)発行。上中下3冊(各巻約100ページ)。

米国『ポケット・ドーズ・ブック』(投薬処方)(ウェーゼス編,1866年刊行)の翻訳。山城屋佐兵衛・島村利助・丸屋善七の三者の共同出版。

巻頭に「僕がごとき晩学にして等身の書を熟読するに暇なきもののために姑息の用に充つるに足らん故に今大方君子の嗤笑を顧みず燈火に間を愉しみ訳して以て同志に頒つのみ」とあり明治の知識人の大らかさが窺える。

しかし一方「原書は素簡略を尊ぶが故に…検査に便ならざる条あり依って引書を以て之を補わざるを得ず」とあり,書中に合を記する者は「合衆国局法」,ウを記する者は「ウッド氏薬剤書」など5点の引用書をあげて訳注を補うなど,大らかさと同時に明治の知識人の真摯・誠実さも窺うことができる。

 

 

『公會演説法』

明治10年発行 40ページ

「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれた尾崎行雄が弱冠19歳で訳述した書。

言葉の力,議論,対話で社会を変えていくべきという尾崎の生涯を貫く基本的姿勢の現れ。「演説の事たる今益々盛大に至るも決して衰退するの理なし」という認識から始まり,「演説之際身持之心得」や「音声を正調に維持する法」「演説者の注意す可き事」など小著ながら微に入り細を穿つ演説の指南書。

「音声を正調に維持する法」には「生卵を以て溶解したる胡椒の類を少々宛」など,また「音声を正調に維持する法」には「演説堂に昇るとき…初め説きだす事にて最悪しは聴衆に長持ちを謝するの事なり」などのアドバイスが満載。

 

 

『学校用物理書』

明治11~14年発行 和綴・上中下(各60ページ)・附録(20ページ)の全4冊

英国『サイエンス・プライマー』(科学初歩)の中から物理・化学を抜粋・翻訳。

「原序」として「小学物理・化学を幼童の学習に適する如く簡易に説明するにあり…直ちに萬有に接するか如く深入精説して以て幼童の耳に適せさるは其宜しき所に非ず…毎課其原理に誘導すべき単一の試験法を掲げたり此試験は毎講の前に教師たる者其順を逐うて行うべしこの如くすれは幼童自ずから其注意力を奮起及と強實に宇得べし…」とある。

力学から電気まで90項目に分けて原理の解説と試験法が解説されているが,教師がデモ実験を行ってから原理の説明をするという授業は現在も行われており,理科ぎらいをいかになくすかという課題は誠に古くて新しいことが本書から窺える。

 

  

『百科全書』

明治17~18年(1884~85)発行(上中下各4冊)

原書は英国の“Information for the People”。文部省訳。文部省版『百科全書』は冊数が多く,製本が異なっていて不便であったので,原書5版を新たな訳者で翻訳。

「例言」として「天文学より始まりて家事倹約訓に終る篇を分つこと凡九十二詳細を闕くに似たりと雖亦以て其の概略を掬するに足れり…此の書の原刻掲示する所の篇目漸を逐ひて改めたる者間これあり星学を改めて天文学とし衣服篇を改めて衣服及び服式とせるか如き是なり観る者その原刻に異なるを以てこれを怪しむること勿れ」とある。「家事倹約訓」はわが国で初めての家庭科の教科書として使われ,字義どおり倹約を旨とすること,およびヨーロッパなど外国の風習を学ぶための教科書であった。また,後段は明治時代に英語の翻訳で苦労した跡が窺える。

予約が1,000に達したときに出版するというわが国初めての予約出版。

 

 

『新體詩抄』

明治25年(1882年)発行

西洋「詩」の韻律に影響を受け、和歌、俳句とは異なる七五調の文体でシェイクスピアの詩などを翻訳した。口語詩が起こる以前、我が国の近代詩の源となった書。作品の評価は手厳しいものがあったが新詩を目指す進取の気性があった。

 

 

『日本建築辞彙』

明治39年(1906)発行 250ページ

建築学に関する五十音順の小項目辞典。

「はしがき」で建築学辞典は英国では8冊,仏国では10冊,米国では大3冊のいずれも大部なものが出版されているが,本書は著者一人が編纂したもので到底完璧ではない,と断ったうえで,言葉の採録方針,表記について滔々と持論を述べている。

 すなわち,採録方針は「如何なる方針に依り言葉の取捨説明の繁簡を選定したかといふうに高襟(ハイカラ―)より印半纏を取れりと答ふる」と記して技術者として現場主義を貫き,また言葉の表記については「あづまや」は「東屋」が適当で「四阿」とはせず,「とぶくろ」を「戸套」とするのはもってのほかで支那字や「ぽんど」を「ぱうんど」するがごとき洋語崇拝(ただし尊重はよい)は大嫌いと切り捨てる。

 このように特異な辞書であるが,「建築史については古くから中村達太郎『日本建築辞彙』が建築の伝統的な部材名を知るための重要なソースを提供していた(『日本都市史・建築史事典』(2018)序文)」と評価され,そのためか1950年には『改訂増補 23版』が出版され,さらに,2011年には『新訂』版(中央公論美術出版)が発行されている。

 

 

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≪ バックナンバーと今後の予定 ≫

1月  明治時代

2月  大正から戦前・戦中

3月  戦後直後

4月  戦後復興期

5月  高度成長期Ⅰ(昭和30年代)

6月  高度成長期Ⅱ(昭和40年~オイルショック)

7月  オイルショックとその後の回復期(昭和48年~昭和60年)

8月  バブル期とその後(昭和61年~平成8年)

9月  平成8年~現在

10月「學鐙」の歴史

11月『理科年表』の歴史とトリヴィア

12月 新たな取り組みの時代

 

 

 

丸善 創業150周年記念サイト

http://150th.maruzen.co.jp/

 

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