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【コラム】マスクをつけた「匿顔」の時代に思う――アフターコロナにおける顔とは?
(写真:photo AC)
原島 博(東京大学名誉教授、日本顔学会元会長)
日本顔学会の創立20周年記念事業である「顔の百科事典」が刊行されて5年が経とうとしています。それは学会発足までは用語としても存在していなかった「顔学」の集大成ですが、そこには数多くの顔に関する話題がコラムとして掲載されています。その一つとして「匿顔のコミュニケーション社会」と題した小文を載せていただきました。
『顔の百科事典』
日本顔学会 編 原島 博 編集委員長
定価:本体25,000円+税 A5判・656頁 ISBN:978-4-621-08958-3
顔を見せない匿顔の時代になった
それは「もしも顔がなかったら人と人のコミュニケーションはどう変わるだろうか」という問題提起から書き始めました。人の身体は衣服で隠されていても、顔は違う。相手の一番見やすいところに裸の顔をおいてコミュニケーションしている。それが相手との信頼関係を築くうえで大切なことであった。これに「ところが今、顔を見せないコミュニケーションが当たり前になりつつある」と続きます。
その顔を見せないことを、匿名をもじって、「匿顔」と名づけました。そして筆者の専門であるメディアとこれを結びつけました。人は現実の社会では顔を見せながら行動しているのに、電話やインターネットでは違います。そこはまさに顔を見せない匿顔のコミュニケーション社会です。顔を見せないことでコミュニケーションの形がどう変わるのか、さらにはコミュニケーションしている人の人格がどう変わるかを問題としました。現実の社会では紳士的なジキルが、もしかしたら顔を見せないネットではハイドになってしまうかもしれません。
ネットだけでなく現実の社会もマスクで顔を隠す時代に
(写真:photo AC)
このようなコラムを執筆してから5年経って、この匿顔はネットだけのことではなくなってきました。現実の社会でも人は顔を隠して街を歩くようになりました。人と話すときは顔を隠すことがエチケットで、それが新しい生活様式であるとまで言われるようになりました。言うまでもなくマスクのことです。
もちろんマスクはコロナの感染症の拡大を予防するためには必須です。マスクがそのためだけのものであれば、感染症が終息したら不要になるでしょう。将来を予測することは難しいのですが、筆者はそうならないような気がします。ひとたびマスクをつけることが当たり前になると、そこから抜け出すことはそう簡単ではありません。まさに「匿顔のコミュニケーション社会」が現実の社会にも到来します。
それは顔を隠すということが意外と快適だからです。考えてみれば、裸に近い顔を見せているということは、無防備かつ不安なことです。いつも相手の視線を気にしなければなりません。顔を通じて秘密にしておきたい心の内側が相手に見られてしまうかもしれません。顔を見せるということは、そのような緊張した状態にいつも自分をおいていることを意味します。マスクで顔を隠せば、それは避けられます。
化粧そしてファッションとしてのマスク
さらに言うと女性は(男性も?)毎朝の化粧も楽になります。もともと化粧にはさまざまな意味があります。まずはエチケットやマナーとしての化粧がありますが、より積極的に自分を魅力的に見せたいという意味があります。逆に自分のコンプレックスを隠すためにも化粧をします。このように顔を演出するという意味に加えて、顔を隠すという意味もあるのです。化粧はそれなりの時間がかかりますが、マスクであればそれは一瞬にできます。そのうちにマスクはファッションとしても定着していくでしょう。毎朝することはデザインされたマスクのどれを着用するか、それを選択するだけになります。
その頃は、さまざまなマスクがブランドとして登場していることでしょう。色がカラフルになるだけでなく、形も多様になります。顔全体を覆うフェイスマスクがブームになっているかもしれません。それは紫外線から顔を守るという効果もあります。
仮面としてのマスクは人や社会をどう変えるか
こうなるとマスクというよりも仮面です。もともと英語では仮面をマスクと言います。それは自由にデザインできます。他人の顔になることもできます。性別も関係なくなります。すでにネットのバーチャルな空間では、自分の化身(アバター)を登場させて、さまざまなコミュニケーションをおこなうサービスが展開されています。これが現実の社会でも当たり前になる時代が、じきに来るのかもしれません。
それをどう思うかはそれぞれでしょう。顔の束縛から解放される素晴らしい時代になると期待する人もいるでしょう。そこでは顔の美醜はすでに過去のものになっています。一方でそのとき人がどう変わるかも興味ある所です。顔を隠すことが当たり前になると、次第に生の顔を見せることが恥ずかしくなります。すでにマスクの時代になってその傾向がでて、マスクを手放せなくなっているという報告もあります。そのうち社会も生の露出した顔を恥ずかしいものとして扱うようになるかもしれません。露出した顔を陳列することが公序良俗に反するとして罰せられる時代が来るのではという冗談もでています。
マスクはコミュニケーションをどう変えるか
(写真:photo AC)
コミュニケーションという観点からはどうでしょうか。筆者自身のもともとの専門はコミュニケーション技術で、顔をコミュニケーションメディアとして位置づけています。それを隠すことが当然の時代になると、顔のメディアとしての役割が失われていきます。顔はさまざまな情報を伝えています。必ずしも口から音声として発する言語的な情報だけではありません。人の顔は他の動物に比べて柔らかく、それによって表情豊かなコミュニケーションができます。それによって言語では表現できない相手の気持ちを理解することもできます。共感して一緒に喜ぶこともできます。
あるところで聴覚障害者のコミュニケーション支援に関わっている研究者の話を聞く機会がありました。マスクは聴覚障害者の残された貴重なコミュニケーションのチャネルを奪っているというのです。これは手話通訳の方が聴覚障害者にどのようにして通訳しているかを見ればわかります。手話通訳は手や指を動かすだけではありません。びっくりするくらい表情豊かに通訳しています。そこに重要な情報が含まれているのです。聴覚障害者が日常的にコミュニケーションするときも同様です。顔は貴重なメディアなのです。マスクによってそれも奪われるという厳しい時代がこようとしています。
そのような特別な場合を除いて、マスクをしていてもほとんどコミュニケーションに困らないという人もいるでしょう。でも本当にそうなのか気になります。困っていないようであっても、もしかしたら人として必要なコミュニケーションができていないのではないか。社会的な距離のコミュニケーションはできても、相手の気持ちを理解して共感するという人としてのコミュニケーションはできていないのではないか気になります。
改めて顔とは何かが問われている
いろいろと思うにまかせて書き連ねてしまいました。少し極端な議論になっていると思う方もあるでしょう。そうかもしれません。ファッションとして日常的にマスクをつけるようになっても、それを一種の遊びとして楽しんでいるのであれば難しいことを言わなくてもいいのではとおっしゃる方もおられるでしょう。そうかもしれません。一方で人はそれほど強い存在ではないのではという気もします。
いずれにせよマスクの時代になって、改めて顔とは何かが問われています。
原島 博(東京大学名誉教授、日本顔学会元会長)
第12回 講義
原島 博先生監修による
『ビジュアル 顔の大研究』2020年12月刊行!
馬場 悠男(国立科学博物館名誉研究員) 監修
輿水 大和(中京大学名誉教授) 監修
本体価格4,200円+税 A4変判 約96頁 ISBN:9784-621-30557-7
どこまでが「顔」なのでしょうか。
髪のはえぎわまで? 髪が薄くなると顔は大きくなるの?
では「おでこ」は顔? ……それとも頭だろうか?
身の回りには、動物や車、仮面やコンピュータ、デフォルメした似顔絵……たくさんの顔(と、顔に見えるもの)があふれています。
身近で当たり前にあると思っていた顔は、じつは奥深い世界につながっているのです。
さあ、「顔学(かおがく)」の扉をひらいてみましょう!
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