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【丸善創業150周年】出版物で辿る丸善の歴史 ~バブル期とその後~
今年は丸善の創業から150年を迎えます。
この節目の年に丸善の出版物を全12回の連載で振り返ります。
それぞれの時代を象った、丸善グループの写真や画像をご覧ください。
丸善出版 創業150周年記念プロジェクトチーム
バブル経済期とその後 昭和61年~平成8年(1986年~1996年)
バブル期とは,一般に昭和61年(1986)12月から平成3年(1991)2月までの51ヵ月間に起こった不動産・株などの資産価格の急騰とそれに伴う好景気,さらに地上げを初めとする異常な社会現象を指し,平成元年(1989)12月の大納会で日経平均株価は38,957円の史上最高値を付けた。
しかし,平成2年3月の大蔵省による土地関連融資の総量規制,および日銀による平成元年からの公定歩合の急激な引上げなどによって不動産・株価が急落し銀行やノンバンクが大量の不良資産を抱え込んでバブルは崩壊し,その後日本経済は長い低迷期にはいった。当社においてもバブルの影響をまぬかれず,昭和63年に「有価証券の保有,運用,売買に関する業務」を定款に追加して財テクに取り組み,バブル期には財テクが収益の柱になった。
出版業界は昭和61年~平成3年に書籍の売上が7,157億円から9,264億円に伸びた。発行点数は37,016点から42,345点,発行部数は130,467万冊から140,078万冊で1点当たりの単純平均部数は微減であった。
一方,平成8年の売上は10,996億円,発行点数は60,462点,発行部数は154,421万冊で平成3年と比べると1点当たりの単純平均部数は約2割減少し,この頃から出版業界は返品・在庫に悩まされることになる。すなわち,1点当たりの部数が伸びない中,新刊を多く出すことによる売上確保が常態化して返品・在庫増を招くことになった。
当社におけるバブル期とその後の特筆すべき点は以下の通り。
1. 創業120周年(平成元年(1989))記念出版の取組み |
2. 理工系専門出版社から総合出版社への脱皮を目指す取組み |
3. 看板商品の部数逓減と建築系ヒット商品の誕生 「コンパクト建築設計資料集成」「宮脇 檀の住宅設計テキスト」の刊行
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【付記:看板商品の部数逓減と新たな取組み】 昭和61年(1986)に『化学便覧 応用化学編』を発行したが,昭和55年(1980)に出した前版と比べて部数が半減した。本書だけでなくバブル期以降に改訂した「その他の便覧」「実験化学講座」「建築設計資料集成」「理科年表」という当社の主力商品が二,三の例外を除いて改訂ごとに部数を落とした。「理科年表」は昭和56年(1981)~58年(1983)がピークで,その後10年間で部数が逓減して平成8年(1993)にはピーク時の60%に落ちてしまった。 ①理工系のウィングの拡大:ポピュラーサイエンスの創刊 ②総合出版社への脱皮 ③組織の拡大:子会社の設立,ニューメディア部の統合 ニューメディア部の統合:映像ソフトにウィングを広げるという方針のもと,書籍雑誌
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丸善ブックス(選書) 平成6(1994)年6月創刊(001-004) 四六判,創刊時 本体1,165円~1,748円 107 『スペインと日本人 』 (平成18(2006)年7月刊行)で事実上幕を降ろす。
【創刊時タイトル】 001 『江戸の切口』 (高山宏 編著) 002 『シャカムニの生涯』 (溝口史郎 著) 003 『ギリシアの神話』 (市川裕見子 訳) 004 『現代ジャズの潮流』 (副島輝人 著)
「丸善ブックス」(以下MBと略記)は「丸善ライブラリー」(以下MLと略記)の補完的位置づけで,MLにつづいて3年後に選書として創刊した。MLに比べて内容がやや専門的かつ高度で新書ほど読者層は広くないものの着実な需要が見込めるということと,書店販促の幅を広げる役割を担うという補完的意味合いがあった。また,MLがなければMB単独の選書シリーズは成り立たないという側面もあった。 MBの企画案冒頭に「21世紀をむかえようとしている現在,世界は……あらゆる分野で大きな変化が起こり,文化全般にわたる知のパラダイムの転換が求められている。丸善ブックスは,このような価値観の再生の時代にむかい,これまでの人類の知の営みを見すえ,今後の新しい文化の創成のために考えるヒントを生み出してゆこうとするものである」と記されている。しかし,企画案にあるような教養を喚起し知性に訴える品のよい本が著しく売れなくなったのが,この二十数年だったのではないだろうか? あくが強い本,スノッブ臭芬々の本,超訳と謳っているが原文をねじまげてしまう訳本,丁寧な検証や目配りのゼロの自己主張本,果てはヘイト本がはびこった。 もともと選書は新書と比べてはるかに地味で,大手出版社の選書すら大型書店にしか棚がないという状況に陥ってしまった中で,MBの苦戦は当初から明らかだった。MBの重版率は決して低くなかったが,売れないタイトルはまったく売れなかった。 (書影は001『江戸の切口』(1994年) ) |
丸善ライブラリー (新書)
平成3年(1991)年4月創刊(001-010) (現時点)平成30年(2018)6月刊行(388) 新書判,001-010:本体609円~621円 (現時点)388:本体760円
【創刊時タイトル】 002『読書見本帖』(池内紀 著) 003『ヨーロッパの誘惑』(海野弘 著) 004『ロンドンA to Z』(小林章夫 著) 005『異貌の科学者』(小山慶太 著) 006『風刺漫画人物伝』(清水勲 著) 007『ハイテク考古学』(坂田俊文 著) 008『模倣の社会学』(横山滋 著) 009『アメリカ人の英語』(秋澤公二 著) 010『文学の中の都市と建築』(若山滋 著)
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創刊時の新聞広告(朝日新聞1991年4月18日)
1.創刊時と英語もの 「丸善ライブラリー」(以下MLと略記)は当時理工系専門書出版社から脱皮して総合出版社を目指すという旗の中心に位置づけられた。創刊当時新書市場は「岩波新書」「中公新書」「講談社現代新書」しかないといって過言ではなく,MLを総合出版社化の足掛かりにするという狙いは的を射ていた。それは,筑摩書房の倒産と再建を描いた永江朗『筑摩書房のそれからの40年 1970-2010』(筑摩選書,2011)の中に筑摩書房再建の一つの柱になった「ちくま新書」創刊(1994年)のきっかけがMLであったという記述からも窺える。少し長いが本書235~238ページを抜粋する。“当時の新書市場には,事実上「岩波新書」「中公新書」「講談社現代新書」のいわゆる“御三家”しかなかった。そこに「丸善ライブラリー」が参入してきた。……山野浩一(注:2015-2017年に社長)が新書についてのレポートを提出している。……日経マグロウヒルを辞めて経営再建中の筑摩書房に入社した山野は,当時「ちくまライブラリー」と「ちくまプリマーブックス」の営業担当だった。……山野は自分の担当地区の書店を訪問して,新書各社ごとの棚の段数などを調べてみた。「岩波新書」「中公新書」「講談社現代新書」の3レーベルに「丸善ライブラリー」が参入してきたところだった。≪山野 ちゃんと丸善の棚が“御三家”の隣にとられているんですよ。……おれら毎日必死に這いずり回って,「ちくまライブラリー」はここへ置いてくれ,「プリマー」はこうしてくれ,とお願いしても,なかなか棚なんてとれません。だけど,丸善は新書の棚をとれるんですよ。…これは何とか早いうちに手を打たなきゃならない。「自分のところでも」と真似する出版社が出てくるぞ,ということでレポートを書いたんです≫”。 このように,MLの創刊は目の付け所もフロンティア精神もともによかったが,「継続は力なり」の「力」がなかった。 創刊時には「朝日新聞」に全5段の広告を出すなど宣伝広告にも力を入れ,複数配本や平積みの書店を多く確保することができた。 創刊当初から英語ものが好調で,創刊10点の中で009 『アメリカ人の英語』は5万部,『034国際人の英語』(1991年12月), 086 『街角のイギリス英語』(1993年5月), 134 『アメリカ英語とイギリス英語』(1994年9月)は3万部に達した。また, 152 『アメリカ人の知らない英語-和製英語のすべて』(1995年3月)は刊行当初新聞各紙に取り上げられるなど反響を呼び半年で約4万部となった。
2. 新書創刊ラッシュ ML創刊時にライバルは少なかったが,1994年に「ちくま新書」,1996年に「PHP新書」,1998年に「文春新書」,1999年に「平凡社新書」と「集英社新書」,2000年に「講談社+α新書」,「角川oneテーマ21」,「新書y」(洋泉社),2001年に「光文社新書」,「宝島社新書」,「中公新書ラクレ」,2002年に「岩波アクティブ新書」,2003年に「新潮新書」,2006年に「幻冬舎新書」と「朝日新書」などが創刊され,新書市場は様変わりした。MLは書店の棚を確保することがむずかしくなり,徐々に追いやられて返品が増えるとともに書店の棚に置かれる期間が短くなる一方になった。平積み,面陳も困難になってMLは返品と在庫に悩まされることになった。
3. ロングセラータイトル 新書の寿命がきわめて短期間で決まってしまうという状況下においても,かつての「岩波新書」のようなロングセラーが絶滅したわけではなく,MLでも点数は多くないが,ロングセラーが生まれた。それは教科書として使われる場合で, 032 『環境倫理学のすすめ』(加藤尚武 著,1991年12月)は8万部, 226 『異文化コミュニケーション入門』(鍋倉健悦 著,1997年3月)は3.5万部となっている。
4. 返品と在庫の考え方 創刊当初から返品が多く,在庫を減らすために初版発行部数を一律ではないものの全体的には徐々に下げていった。初版部数を下げることによって返品の絶対数は少なくなるが返品率は変わらず売上部数も減ってしまい,初版部数(書店配本数)が違っても実売部数と返品→在庫の割合は変化しないというトレードオフに陥った。しかし,新書はトレードオフの解消という考え方では成り立たないという見方もある。つまり返品は雑誌感覚で自動断裁して在庫にしない,その代わり出足好調な新刊に集中して攻勢をかけて勝負する,その新刊を売り伸ばして他の赤字を消すという発想に転換する選択肢がありえたのかもしれない。
1996年に出版業界は売上がピークアウトしたが,このとき以前から新刊点数の増大によって売上を拡大する自転車操業に陥っており,返品・在庫がボディブローように効いてきていた。当社も例外ではなくMLの在庫が重くのしかかってきた。確かに嵩(かさ)は他の蔵版を圧倒したが,金額は決してそうではなかった。在庫金額自体は膨大ではなかったにもかかわらず,目に見える在庫の山を前にしてこれ以上の返品と在庫を増やすことはできないという判断のもと,2000年代前半から不定期刊行として毎月複数の新刊を出す新書市場から事実上撤退した。しかし,MLを刊行したフロンティア精神はいまだ輝きを失っていない。 (書影は226 『異文化コミュニケーション入門』(1997年), 134 『アメリカ英語とイギリス英語』(1994年) ) |
コンパクト建築設計資料集成 日本建築学会 編 昭和61年(1986)~発行 A4判,288ページ,本体4,300円
本書刊行の趣旨が『第3版 コンパクト建築設計資料集成』の序文にきわめて明確に記されているので以下に引用する。 “初版は昭和58年9月に完結した建築設計資料集成全11巻を母体として昭和61年9月に誕生した。その狙いは膨大かつ有益な情報を別の形でより活用しやすくすることであり,その生かし方として学生を主たる対象に設計課題の補助資料,建築計画講義等の教材としての利用が想定された” このねらいは見事に的中して本書は大学・専門学校のテキストに採用され,『第2版』が1994年に出るまでに11万部に至った。『第2版』は2005年に『第3版』が刊行されるまでに15万部に,『第3版』は現在まで15万部に至っている。 バブル期に出版して多少なりともバブルの影響をまぬかれなかった他の蔵版と違って,バブルの影響が微塵もなかったことを本書の特筆すべき点として挙げたい。母体のリソースが膨大で豊潤であり,そのエッセンスを凝縮したコンパクト版のクオリティの高さは屹立しているといって過言ではない。本書や親版(『建築設計資料集成』)の成果はその圧倒的多くを建築学会が負っているのは言うを俟たないが,それだけではなく当社の努力が少なからずあったことを以下に記す。 昭和35年(1960)から12年をかけて刊行した『建築設計資料集成』(全6集)の制作は大変な苦労を伴った。執筆者から提供された青図を縮小した上で手描きでトレースして印刷に耐える図面としたが,原図が大きい青図のため細部は不正確にならざるをえなかった。図中文字は活版でバラバラに組みそれを清刷にして、その清刷の文字を図面にピンセットで切り貼りして写真製版した。ほとんどの図面は著者校正で赤字が入り、上記の作業を数回繰り返してようやく校了となった。このような著しく手間とコストがかかる作業を12年間も当社が担ったことを書き残しておきたい。 (書影は『コンパクト建築設計資料集成〈住居〉』(1991年) ) |
MARUZEN 物理学大辞典
物理学大辞典編集委員会 編, 編集委員長 牧二郎
平成元(1989)年発行 B5判,1,660ページ,本体38,000円
本書は丸善創業120周年(1989年)記念出版として企画された「丸善エンサイクロペディアシリーズ」(5冊)のうちの一つ。「丸善エンサイクロペディアシリーズ」という記載は本書のどこにもないが,出版目録や各種広告には「丸善エンサイクロペディアシリーズ」と明記されていて,このシリーズ名は主に営業・販促の際に用いられた。 「丸善エンサイクロペディアシリーズ」の他の4冊は『MARUZEN 宇宙・天文大辞典』(1987年),『MARUZEN カーク・オスマー化学大辞典』(1988年),『MARUZEN IEEE 電気・電子用語辞典』(1989年),『MARUZEN 人工知能大辞典』(1991年)で,『MARUZEN 人工知能大辞典』を除いていずれもバブル期に刊行したため短期間に重版を重ねた。それほど規模の大きくない企業の研究所で本シリーズが数冊購入されるという今では考えられないケースにおいて営業は驚かなかったし自慢もしなかった。バブル期の4年間で日経平均株価が約3倍に上昇し,土地も5年間で約4倍も上がるという異常な事態が個人にまで影響を及ぼし,「アッシー君」や「メッシー君」という現象が象徴する時代だった。 本書序文の“物理学分野におけるわが国はじめての最高水準の辞典となったと自負している”という一文に代表されるように全体的に高揚感に満ちている。バブルとは無縁の学問分野おいても時代が映されていることが興味深い。 本書は「丸善エンサイクロペディアシリーズ」の中で最も好評で,1999年に『第2版』を出したが『第2版』の売行きは芳しくなかった。 (書影は『MARUZEN 物理学大辞典』(1989年) ) |
丸善エンサイクロペディア 大百科 大百科編集委員会 編訳 平成7(1995)年発行 A4判,2,640ページ 本体31,000円,特価(当時税込)28,000円(1995年2月~9月) |
理工系専門書出版社から脱皮して総合出版社を目指すという当時掲げた旗の下に1991年に『丸善ライブラリー』を,1994年に『丸善ブックス』を創刊したが,本書はその方針をコンクリートにすべく打って出た出版であった。当時すでに全数十巻の大部な百科事典は需要を失っていたが,百科事典そのものの需要は脈々とあり,形式を変えれば掘り起こすことができるという狙いで,①1巻本,②構成の斬新さ(イラストを多用したビジュアルなテーマ別パートと小項目辞典のパートの二つのパートからなる),③上限とはいえ個人買いが望める価格という三つの特徴から勝負に出た。 理系・文系・医薬系・芸術系全分野で編集委員を委嘱し,翻訳者を選定して原稿を集めるまでは数人のグループで担当したが,その後の編集作業はきわめて大変であった。英国のOriolePublishingから出された“The Joy of Knowledge Encyclopedia”が原書であったが,1989年の出版であったため1990年以降の事項の追加を初め読みやすい日本語にすることや固有名詞の表記の統一など,担当グループではとても手が回らず,編集部のほぼ全員が関わることになった。担当者だけでなく他の編集部員も事務所近くのホテルに泊まるなど夜遅くまで編集校正作業がつづいたが編集部員が若かったため熱気に満ちていた。本書出版の意義を全員が理解していたかは「?」がつくとはいえ,全員が「乗りかかった船,最後までやり遂げる」という意識を共有していた。営業も全国津々浦々に出張して事前注文を取るなど通常の大型企画とは力の入れ方が違っていた。 こうして編集・営業の総力を挙げて出版に漕ぎ着けた。しかし本書にはツキがなかった。刊行前月の1月17日に阪神・淡路大震災が起こり,刊行翌月の3月20日に地下鉄サリン事件が発生した。本書序文に百科事典に求められるものとして「難解な事柄を明確にし,要点を簡潔にまとめ,複雑な事象からひとつの法則を導き出し,物事の本質に到達する」と記されているが,序文のようにじっくりと落ち着いて考えるための「よすが」となる百科事典は,二つの大惨事の中では求められるものではなかった。 初版をクリアーできず期待した成果をあげることはできなかったとはいえ,果敢に打って出るチャレンジ精神はいまでも古びていない。 |
丸善主催の展示会時のカタログ |
グーテンベルグ『42行聖書』 昭和62(1987)年10月22日、創業120周年を迎える記念事集の一環として、ニューヨークのクリスティーズオークションで、世界最初の活版印刷本『グーテンベルグの42行聖書』を490万ドルで落札した。 グーテンベルグにより開発された活版印刷術は、羅針盤、火薬とともにルネッサンス期の三大発明の一つとされている。1455年、ドイツのマインツにてグーテンベルグが印刷したこの聖書は、世界で48部しか現存しない大変貴重な稀覯書であり、この丸善による落札でアジアへ初めて持ち込まれたことになる。落札してからは日本橋店等にて展示会を開き、皇族方が来場されるなど盛況を博した。平成8(1996)年に慶應義塾大学へ譲渡。 |
ハヤシライスの命名には諸説あるが、丸善の創業者である早矢仕有的にちなんだものという説がある。昭和29(1954)年からおよそ半世紀にわたり、日本橋店の屋上レストランで「丸善のハヤシライス」を提供していたが、平成元(1989)年に、創業120周年記念商品として、ハヤシビーフの缶詰「新厨房楽・ハヤシビーフ」を販売。本型の化粧箱は歳暮、中元の贈答用としても重宝され、人気商品となった。 その後、カレービーフ、ハヤシポーク、カレーポークなどのラインナップが登場し、現在はレトルト版も販売している。 |
≪ バックナンバーと今後の予定 ≫
7月 オイルショックとその後の回復期(昭和48年~昭和60年)
丸善 創業150周年記念サイト
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